「ミーハー」
私がよく使う批判に「ミーハー」という言葉がある。
物事の深い部分を知らずに、まるで自分のものにしてしまったかのように振る舞う。
「ミーハー」は決して悪いことではない。だけど、自分がそうなりたくないという心構えみたいなものがあるからこそ、悪い意味でそれがはたらいてしまっている時には拒否反応を感じてしまうのだと思う。
それは「ミーハー」の本来の意味とは違うかも知れない。けれど私は皮肉の意味も込めて敢えて「ミーハー」という。
結局は自分がそうであったからかも知れないのだけど。
話は変わるが、
私達黄色人種は、
白色人種や、黒色人種になれるのだろうか。
答えはノー。
それは生まれながらも決まっていて、
自分では選ぶことが出来ない。そもそも元となる遺伝子がどうっていう話。
髪の毛を金髪にしたり、青や緑の瞳にするためのカラコンをつけても、
黄色人種は白色人種になることは出来ない。
髪の毛をドレッドにしても、いくら肌を焼いても、黄色人種は黒色人種になることは出来ない。
ましてや、いくら体を鍛え上げても、
雰囲気やしぐさを真似しても、
自分の人種は、生まれ変わらない限り変えることは出来ないのだ。
例えば、アマガエルがトノサマガエルになることが出来ないように。
柴犬がゴールデンレトリバーになることが出来ないように。
同じ車でも、軽トラとダンプカーでは
生まれ持った機能が違う。
アマガエルが、アマガエルしかいない世界で
トノサマガエルに憧れ、トノサマガエルの見た目や仕草を真似して、出来るだけ体を大きくしようと頑張って鍛えたとする。
アマガエルの世界の中ではもてはやされるかもしれない。しかしそれは均一な種の中で悪目立ちをしているに過ぎない。
そして、いざ、トノサマガエルの世界へ飛び込む。
どうだろう。
アマガエルとは、生まれ持った姿や機能が、違いすぎる。
化けの皮はすぐはがされ、そこでアマガエルは自らの本来の姿を知るだろう。
あえて、大嫌いなカエルのネタになってしまった(笑)
これも、ダンスの練習をしていて思うことだけど、確かにヒップホップは黒人の文化で、黒人のように踊るのがかっこいい、とされている。
ただ、このグローバルな世界のなかで、
黒人の真似をしているだけで自分をレペゼン出来るのだろうか??
先程の例に当てはめれば
日本人は軽トラ、
黒人はダンプカーだとおもう。
機能が違う。
小回りが得意で融通が効くけどパワー不足の軽トラと、
ダイナミックだけど動きの融通が効かないダンプカー。
そもそも自分は猿なのにゴリラの真似して「自分はゴリラだぞー」って言われてもな。。
という話で。
入りはそれでも良いのかもしれない。
先のミーハーの話とも繋がるような繋がらないような。
見た目だけ変えてる自分に満足してはいないか。
大事なのは本質。
それを常に肝に命じて
物事を進めていきたい次第です。。。