Cementerio de elefante

この間ある映画を見た。

Cementerio de elefanteというボリビア映画。

日本語では「象の墓地」という意味で、

アルコール依存性で全てを失った男の回想と、最期を描いている。

映画と象🐘は全く関係ないのだが、実際、象🐘が死ぬときに群れから離れて独りで死んでいくという性質を、この映画の主人公の話と照らし合わせてこのようなタイトルになっている。主人公は墜落した人生を送っていてもう為す術がなく、アルコールを大量摂取しながら独りで死んでいく。家庭に恵まれず貧困に陥りアルコール依存性になり、道端でその日をなんとかしのぐ暮らし。一度陥ったら這い上がることのできないスポイルが、生々しく描かれている。

また、ラパスの文化に関わる部分で衝撃的な場面がある。ラパスには、アイマラ民族の文化が浸透している。今でも新しく家を建てる時、生け贄として敷地にリャマのミイラを埋め家内安全を願うとかそういうおまじない的なしきたりがあるようなのだが、この映画ではなんと、ビルを建設する前に、生きている人間を生け贄として、埋めるのだ。

主人公は、お金欲しさに苦しみを分かち合った親友を、生け贄として業者に差し出してしまう。

これは2009年の映画らしいが、80~90年代に実際にあったことらしい。国家的な規模で大きなビルや、橋などを建てる際、生け贄として生きてる人間を埋めていたらしい。そして、それは主にアルコールで酔っ払って道端で寝ているような人間。この映画の主人公のような貧しい人たちだ。

 

この映画を見てラパスの裏の顔について考えさせられたし、今ある大きな建物の下に犠牲者が埋まってるかもと考えるとゾッとした。

 

貧富の差と伝統が入り交じるラパスの陰の部分が見れる映画でした。

 

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