2016年は

JOCV参加の意志を決めてからは、現在進行中ではあるが、目まぐるしかった毎日が更に目まぐるしくなってきた。

2016年1月に、辞退の考えから一転、やはり参加したいと意志を決めた。仕事の話もあるし、この時期の時点で本来参加予定だった28年1次隊は難しく、隊次変更届を提出。1週間ちょっとで返事を頂け結果は、変更可。28年度2次隊に決定した。
ここまでして頂いたのだから、もう、後戻りは出来ない。と思った。
 
職場へ初めて相談したのは去年の6月だった。JOCVに行くことが、今本当にやりたいことなのかどうか問いかけられた。そこから色々考え秋には辞退を考えた。けど、諦めきれずにモヤモヤした時期を過ごした。正直仕事もいればいるほど多くのことを学べ、3年勤めて土台がようやく出来てきて、ここからというところでやめてしまうのはもったいないし中途半端にしたくないと思った。だけど、年末実家に帰ったときや、両親と話したときに、やっぱそうだったな、と思い心を決めた。直接JOCVについて話したりした訳ではなかったけど、やっぱり私のベクトルはJOCV延長線上の方だと感じた。
毎日仕事に追われると、仕事や日々の生活のことで頭や体がいっぱいになる。だけど、年末年始で実家の自分の部屋に戻ったとき、原点に帰れた気がした。中高生のときからか、海外へは強い興味を抱いていた。ストリートダンスをはじめ、アメリカ黒人の文化や歴史を知るうちに社会的弱者や人種問題、格差問題などに興味が広がり大学では様々な国の現実を見たいと1年休学して国際ワークキャンプを回りながら世界一周した。国際協力についても学んだ。
一方で大好きなダンスも続け、コンテストやバトルに出たりしていた。ダンスでは体の使い方、動かし方が非常に重要で、フィジカル、メンタルともにスポーツへ繋がるところがあった。そういう点でも、人の生活をよくしていくことに関わるという点でも、就職は、体を動かすこと、周りの人を笑顔に出来ることが叶うフィットネス業界にした。当時は、とにかく社会に出て働かなければ、自分自信が自立しなければ、ボランティアも社会貢献もくそもへったくれもないと考えていた。更に1年休学して海外で過ごし、自分が日本人であることは大きなメリットであることを感じ、今度は身の回りで、自分が日本人として日本社会に役立てるようにやっていこう、という考えだった。
 
話は戻るが、
JOCV参加を決めてから更に日々が忙しくなった。普段仕事の日は仕事して、深夜はダンス練習したりや動画を見て研究したり、イベントへいったりして、休みにはダンスレッスンや練習会へ行って、という生活で毎日カツカツだったが、2月からは、エアロビクスの養成コースへ通い始めた。1回3時間の講座。実践が主で体を動かして覚えていく。忙しいなんて関係ない。エアロビクスの要請で合格したのなら、やると決めたらしっかり準備をしていく。そういうことだ。
 
そうこうしているうちにもう5月。
長野県での訓練まで2ヶ月を切ってしまった。時が瞬く間に過ぎる。きっとここから2ヶ月もあっという間だろう。
仕事も、ダンスも、エアロの資格取得も、
最善を尽くしてやってかなければならない。
一週間前からは、技術補完研修として他スポーツクラブのレッスンへも参加している。
 
JOCVは、新たなスタート。
その先については聞かれたら答えることは出来るけど、自分の中でまだしっくりはきていない。「そんな状態で行っても、意味がないよ」JOCVに迷いに迷って参加の決断をしたときに言われた言葉。
違う。将来を現実的に、真剣に考えてるからこそ迷っていたわけ。未来は絶えず揺れ動く。決断なんてただの表面に見せるだけの体裁。しかも、何でも迷いが無くなってから初めて行動するなんてことしたら、人生の時間が足りない。命が何個あっても足りない。これが私のやり方。間違いは無い。
これからも迷いつつも時と風の流れを見ながらそれに乗りこなしていかなければならない。自分の進みたい方向へいく風が吹いた時、その時が行動のタイミング。それが低速でも、高速でも。人生は旅。修行(笑)。
何があっても、進んでいくしかない。
 
そういえば、3年半前、就職前に書いた記事がある。
これで、最後に将来なりたい2つの像って書いてあるが、、30才までを前提に考えていたけど、1つは、結婚して幸せな家庭を築くこと。これは遠のいてしまった。
そしてもうひとつが、まさにJOCVを経験した自分の像。
学生の時から考えていたけど、道はその時から出来ていたのかもしれない。
 
意志のあるところに道は出来ていく。
 
久々に夜ゆっくり出来たのでじわーっと考えたことでした。