もしすべてに理由を求められるのなら…

小6の終わりからストリートダンスを始めた。本当に何も分からなかったけど、ダンススタジオで使うような曲で練習したくて家での練習の為にレンタルCDでHIPHOPのコンピレーションアルバムを借りた。英語の歌詞がろくに分からないまま、対訳歌詞カードを見ながら何を歌っているんだろうと疑問に思った。カードには貧困とか人種差別とか、自分の住んでいる世界とは違うような、でもつながっているような世界での問題や主張、皮肉が書いてあり、そういった世界への興味が深まっていった。

 

今思えばかわいいものだけど、中学生の時には学校が荒れていて、その背景にはそれぞれの家庭の事情とかその年だから抱えるようなストレスとか対人関係とかがあって、ほんと田舎の学校だけど問題がたくさんで、先生が統制を取れなくなってた。わたしは真面目だったから、不良グループの目につかないようになるべく息をひそめて生活するもいろんな被害を被ったりして。なんだか次元は違くとも周りの環境によって人が道を逸れていく様や自分の居場所を求めてもがいているところを見ていた。そしてそれが趣味で聞いていたHIPHOP音楽と重ね合わせらせたりし色々考えていた。

 

ストリートダンスはずっと続けていたけど、ダンスそのものが好きだった。フラストレーションの多い中学生活だったからか華やかなチームプレイであるチアダンスに惹かれ、高校に入ってからはチアダンス部に入って超体育会系の3年間を送った。毎日練習三昧で、朝練、昼練、部活、そして部活後には駅で友達と踊った。ダンスのことしか考えていなかった。授業は、毎日のダンス練習の体力温存のためにほぼ寝ていた。やがて頭がすっからかんになった。(笑)ろくに勉強していないので、いざ受験の準備となった際は親や先生に本当に心配をかけた。ただ、海外への興味があったおかげで英語だけは勉強していた。将来海外に行きたいという思いもあった。そして外国語を勉強する大学へ入ることが出来た。

 

そのころはまだ、自分の中で海外と言ったらアメリカやオーストラリアなど英語圏の国や中国やタイなど近かったり旅行で馴染みのある国ばかりだったけど、大学1年の夏休みに国際ボランティアでメキシコに行ってからは、自分の認知していた「海外」である欧米やアジアとは違う広い世界があると感じた。また、日本人として、アジア人としての自分の存在を考えさせられ、もっと違う地域の違う国々の人たちの暮らしを見てみたいと思うようになった。

 

大学3年の時に休学していろんな国をまわりながら国際ワークキャンプに参加した。様々な地域の文化や言葉、宗教や価値観を感じながらインド、ボツワナ、フランス、スペイン、ポルトガル、ケニア、メキシコ、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ブラジルと周り本当にいろんな経験をした。まだまだ未熟で知識も浅く、自分の中で消化しきれない部分もたくさんあったけど、一人で周ったからこそ自分の考えに深く響いたところもあったし、それはその後で起こることの判断材料となった。経験は自分の中にずっと生きていて、年が経って得た知識も、経験と共により濃くすることが出来ると感じた。

 

その時すでに青年海外協力隊に興味があった。ただ、親に学費や生活費を援助してもらって社会にも出ていないし日本に貢献もしていない人が海外でボランティアするなんて、筋が通らないなと思った。だからまずは就職して、自分が自立しなければならないと思った。就職してからは目の前の仕事に追われて忙しくて、その中でやりたいダンスもやって生活を充実させていこうとして、海外へ行きたいと思っても、今はまだいいなと思ったり何だりしてるうちに時間が経った。新卒で入社したフィットネス企業。最初はばしばししごかれた。仕事ではレッスンに一番やりがいを感じていたし、4年目に入ってだんだん経験もつめてきていたので忙しくきついこともあれど環境には居場所も見つけてまだまだ深く根をはっていきたいとも思っていた。思ったことはとりあえず行動、と送っていた書類が合格して面接を受けて合格して、青年海外協力隊に行く選択肢を得た後も、そういった環境を捨てることに抵抗があり、決断を踏み切れずにいた。

だけどその年の年末に実家に帰ったときに、昔の写真、買った本、昔書いた日記などをみたりして、自分の部屋で毎日どんなことを考えて過ごしていたのかを思い出した。そして自分がやりたいと感じていたことが、今いる環境の延長線上に本当にあるのか考えてしまった。

それで青年海外協力隊に行くことに決めた。

決めた実感はあまりなかった。だから会社を辞める為に上司と面談した時も全然上手く話せなかった。

でも、気持ちは完全にそちらへ向いていて、逆らえない流れに乗っているような感じもした。

時間がゆっくりゆっくりと、物事を運んでいった。

 

 

 

そして今、私はボリビアにいる。スペイン語を勉強して、エアロビクス隊員として活動しようとしている。

すでにここで沢山の人と出会った。

時間は限られている。

だからこれからも、沢山動いてこの身に色々刻んでいきたい。